札幌地方裁判所 昭和44年(ヨ)308号 判決 1970年10月26日
債権者 山内和子
右訴訟代理人弁護士 臼居直道
債務者 山内高
右訴訟代理人弁護士 彦坂敏尚
同 五十嵐義三
主文
1、債務者は債権者に対し、債権者と債務者間の長女山内一美(昭和三八年四月一日生)および長男山内明(昭和四〇年三月二五日生)を仮に引渡せ。
2、訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、まず被保全権利の前提である離婚原因の有無について判断する。
(一) ≪証拠省略≫によれば、債権者と債務者は昭和三七年六月二八日に婚姻し、両者の間に同三八年四月一日長女一美、同四〇年三月二五日に長男明がそれぞれ出生した事実が認められる。
(二) ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。
債権者は札幌市北七条西五丁目で旅館「○○ホテル」を経営する山内良雄の妻チヅの連れ子で良雄とは養親子の間柄にあり、一方債務者は右良雄の実兄太郎の長男であるが、債権者と債務者が婚姻するに至ったのは、右良雄夫婦が良雄と血のつながりのある債務者に債権者との婚姻を強く希望し、結婚後は債権者ともども右「○○ホテル」の経営に参加して将来はその経営者の地位を引継ぐことを望み、債務者がこれに同意したためであって、債務者と債権者の婚姻は、債権者債務者とも「○○ホテル」内に住んで良雄の経営を補助し、将来は良雄夫婦の後継者となることが関係者全員の間で承認された前提条件であった。婚姻後、債務者はそれまで勤めていたバス会社をやめ、良雄夫婦と同居して旅館業の手伝に入ったが、当初、債務者は慣れぬ仕事のこととて十分の働きができなかった。ところが、良雄は、生来の独裁者的な性格と旅館経営についての自信から、債務者に対し口うるさく注意したので、人から命令されるのが性に合わない債務者としては面白くなかったが、やがて債務者が旅館営業に慣れるに従い、両者の仕事上の意見の食い違いは感情の対立を生み、お互いに自己主張の強い両者の溝は深まる一方で、遂には表立っての口論から、良雄の債務者に対する暴行、時には掴み合いの喧嘩もしたりするようになった。そしてそれが主たる原因で債務者は再三にわたって家出を繰返し、時には四か月近くも戻らないといった状態が続くようになり、これらのことがひいては債権者と債務者との間にも影響して、債務者が債権者に対して暴力を振うなど次第に夫婦仲の円満を欠くようになった。
すなわち、債務者は(1)結婚した年である昭和三七年一一月頃、良雄が債務者に対して洗車の仕方が遅いとして工事人夫らのいる前で注意したことから憤慨し、家を飛出して一週間程外泊した。(2)同三八年四月頃、領収書のことから債権者と口論し、同人の顔面を数回殴打して家出をし、約四か月後に戻ってきた。(3)同三九年四月頃、下駄箱の置場所をめぐって良雄と口論してそのまま約三か月程家出をし、その間債権者の時計を入質したり、良雄の銀行預金三万円を無断で引出して費消したりしたが知人のとりなしで話し合い、互いに協力するということを約して帰宅するに至ったものの、相変らず良雄との間はうまくゆかず、長男明の生まれた同四〇年三月頃には気にいらないことがあれば債権者につらく当りすぐ暴力を振うようになった。(4)同四一年一月頃も些細なことから家出をし、さらに同年秋には債権者と喧嘩をして顔面を殴打し、これを注意した良雄とも口論をして結局家を飛出して実家へ戻ってしまった。この時は仲人の谷村司が間に入って調整を図り一応納まったが、その後もそりの合わない良雄と債務者では和解の機会はほとんど持つことがなかった。(5)ただこの間債務者としても、しばらく「○○ホテル」で働いていたことのある訴外川下定夫に債務者と良雄との調整役として「○○ホテル」に戻るよう頼んだり、あるいは債権者に対して良雄チヅ夫婦とは別居し債務者は別に働き口をみつけ、債権者は旅館へ通って手伝うことにするという案を出して何とか現状を打開しようと考えたこともあったが、債権者が応じなかったため結局うまくいかなかった。(6)同四二年一〇月末、従業員を債務者に無断でやめさせたことから良雄と口論し、ついには掴み合いの喧嘩となり、結局家を飛出して実家に戻ってしまった。そして同年一一月三〇日、二人の子を債権者方から連れ出し、債務者の実家へ連れて行ってしまった。このため親戚関係にある訴外安村吾一、渡三夫らが間に入って双方を説得し、その結果互いにこれまでのことは水に流して協力し合い、特に良雄との関係においては双方共に反省し互いに相手の立場を理解することとし、もう一度やり直すということで話し合いがつき、再び子と共に債権者方に戻ることになった。ところが債務者は債権者方へ戻っても従来と同様良雄とは口をきこうともせず、両者の間は相変らず円満を欠く状態が続き、また債務者はこの頃からスキーなどに出かけて遊び歩くことが多くなり、夜遅く帰宅しては債権者と口論し同女を殴ったり蹴ったりし、さらには髪の毛を切ったりあるいは衣服を切ったりするなどの乱暴を加えた。(7)同四三年二月中旬頃、旅館が改築のための上棟式を控えて忙しい状態にあったにもかかわらず、蔵王方面に出かけてしまい、上棟式にも立会わなかったため、ますます良雄の憤慨を買い、債権者の信頼をも失い、債権者との関係も次第に破局に向うこととなった。(8)そして同月二二日債務者が蔵王から帰宅するや、良雄はもう一度仲人である谷村司のとりなしで債務者との間の調整を図ろうとしたが、債務者は「夫婦の問題に他人が入る必要はない。」としてこれを受けつけようとしなかった。このため債務者の暴力を怖れた債権者が同夜から二人の子をつれて寝室を別にしようとしたことから喧嘩となり、折から帰宅した良雄とも口論となりついには良雄から「出て行け。」と言われたことから再び家を飛出し実家へ戻ってしまった。(9)その後同年三月二〇日午後九時四〇分頃、債務者はその実父太郎ら六名と共に債権者方に乗用車で乗りつけ、旅館内に乱入し、債権者や良雄らの抵抗を実力で排除し二人の子を無理矢理自己の実家へ連れ帰り、その際これを阻止しようとした債権者・その母親チヅ、妹美子らに対して暴力を振い、その結果同人らに対し加療約七日ないし一〇日間を要する傷害を負わせ、あわせて債務者に対する拭うことのできない不信感を債権者に与えるに至ったのである。
そして現在債務者は債権者および二人の子と一緒に婚姻生活を継続することを希望しているが、良雄夫婦の経営する旅館へ戻る意思は全くなく、他方債権者は債務者の再三にわたる家出や暴行、さらに二人の子を実力で連れ去った行為などから今では債務者に対する信頼や愛情を喪失し、良雄夫婦と別居することは勿論、これ以上債務者との婚姻生活を継続する意思も全くないことが認められる。
≪証拠判断省略≫
(三) 以上の事実を総合すれば、債権者と債務者との婚姻関係はもはや破綻状態にあるというべく、かつそれは主として債務者の責に帰すべき事由によるものと考えられる。すなわち、本件婚姻関係の破綻の一因が債務者の度重なる家出にあることは明らかであるが、右家出の原因は、債権者との関係よりもむしろ債務者と義父の良雄との不仲のためであり、その責任を全て債務者に帰せしめることはできないけれども、度重なる債務者と良雄の衝突の原因は、洗車方法についての注意、下駄箱の置き場所についての意見の相違、常連の泊り客に対する良雄の不注意な言葉遣い、領収書の一件、債権者の配膳準備遅延に対する債務者の叱責など、そのほとんどが取るに足らないものであって、前認定の債権者債務者の婚姻の縁由や良雄が度の強い独裁者であること、旅館営業については良雄が自信をもち他人の言葉に耳を藉さぬところがあることなどの点からみると、債務者としては良雄との衝突を出来るだけ回避しなければならず、しかもそれは必ずしも不可能ではなかったところといわなければならない。しかるに、債務者にはやや忍耐に欠ける点があり、良雄との衝突を招いたのみならず、頻回の家出によって良雄の一層の怒りを買う結果となったのであって、この間何度も債権者側において第三者を間に入れたりして調整を図りその都度債務者は協力を約して債権者方に戻ったにもかかわらず、従前の態度を改めるなどして事態の改善に努力したとは必ずしも認め難いばかりか、債務者の不満のはけ口を債権者に求めることによって債権者の愛情を失い、最終的には上棟式当日に旅館を留守にした一件と夜間実力で二人の子を連れ去った一件とによって家庭内の不和葛藤は頂点に達し、これまで債務者の暴行を受けつつも我慢を重ねてきた債権者の心情をも著しく傷つけ、ついには同人の信頼と愛情を全く失うに至り、婚姻関係破綻の決定的な原因となったものである。債務者は、子供を連れ去ったのは債権者の愛情をつなぎとめるためであると主張するけれども、このような主観的意図は、社会的に是認される限度をはるかに超え、相手方の人格を無視した乱暴な行為を正当化できるものではなく、かかる行為の結果、かえって債権者の債務者に対する信頼と愛情がそこなわれたならば、債務者はその結果を招いた責任を負わなければならない。
(四) もっとも≪証拠省略≫によれば、債権者としても夫である債務者と良雄の不和の間にあって、両者の間をとりなすなどその立場上なすべき努力を充分にはたしたとは認められないし、また債務者が良雄との不和の打開策として債権者に対して良雄夫婦と別居して子と一緒に生活するという提案を示したにもかかわらず、ただ旅館から出たくないという態度を固執して右提案に同意しなかったことなど、債権者においても婚姻関係の継続を図るための積極的努力が決して充分でなかった事情も認めることができる。しかしながら、先に認定したごとく、良雄は一種の独裁者で他人の言に耳を藉す人間ではないこと、債権者は母チヅの連れ子で良雄は養父の関係にあり、債権者にとってはいわゆる恩義のある間柄であるばかりでなく、債権者が旅館業を受け継いで行くことは債務者との婚姻以前からの良雄夫婦の強い希望であり、債務者と婚姻する際にも同人らが旅館業を手伝い、将来は二人で右営業を承継していくことを条件として、債務者としてもそれを了承して婚姻を結んだのであること、また旅館において債権者は経営者の一員として客の接待や料理・配膳の仕事を受け持ち、それらについて使用人を指揮する立場にあったもので、このような責任ある立場と旅館という営業の性質上現実の問題として、旅館を出て別に住居を持ち、主婦としての勤めをはたしながら毎日旅館へ通うということは極めて困難であったこと、また従来債務者が何かにつけて債権者に対し暴力を振っていたため、債権者が債務者に対して恐怖の念を抱いていたことなどを考慮すると、債権者が前記態度をとったのも無理からぬ点があるといわなければならない。
(五) 以上によれば、債権者と債務者との婚姻関係は、回復し難い破綻状態にあるものというべく、かかる結果を招いた過半の原因は債務者にあるから、債権者債務者間には婚姻を継続し難い重大な事由があるといわなければならない。
二、次に被保全権利の前提である親権者の指定について判断する。
(一) ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。
債権者は札幌市内の中心地において養父良雄実母チヅの経営する旅館(客室六〇、従業員三五名)に同居してその経営を手伝い、経済的には比較的恵まれた状況にあり、また市街地の関係上長女一美、長男明の将来の教育環境には恵まれていること、他方債務者は現在檜山郡○○町の建設会社に採石場の責任者として勤め、月収約八万円を得て同社の社宅に二人の子供と共に生活し、一応生活は安定しており、長女一美は○○小学校に、長男明は○○幼稚園に通わせていること、また○○町には高校も存在すること、また債務者が債権者から子供を連れ去るまでは、子供達が債権者と債務者のいずれかに特になついていたという訳のものでもなく、子供に対する愛情、養育能力あるいは両当事者の人格などを比較しても子供らの教育監護者として特にいずれが劣るともいえないこと、以上の事実が認められ右認定に反する証拠はない。
(二) 以上のごとき債権者と債務者双方の生活環境あるいは教育環境を比較検討した場合、程度の差異はあるにしても親権者をいずれに定めるかの判断に対し決定的要因となる程の差異は認めることができない。
ところで親権者の指定にあたっては子の福祉を中心に考察すべきところ、≪証拠省略≫によれば、債務者が会社に勤めている関係上子供達の身辺の世話は、債務者の妹がこのために勤めをやめて同居し面倒をみている事実が認められるが、同女は現在二〇才の未婚の女性であって、債務者としても同女の助力をいつまでも期待することはできず、現在の生活はいわば暫定的な仮の生活であり、したがって当然不安定な面の存することを否定できないし、また二人の子は現在七才と五才のいずれも未だ肉体的にも精神的にも極めて不安定な幼児であって、このような子供の健全ですこやかな成長にとっては母親の愛情と監護が不可欠であり、その果す役割は父親のそれに比しはるかに重要な意味を有すると考えられること、さらに債権者債務者共未だ年若いことからして離婚の暁には当然再婚も予想せられるところ、子供の健全な成長にとって一般的には父親を異にするよりも母親を異にする場合の方が家庭内の緊張が生じ易いと考えられることなどの事情を総合的に考慮すれば、本件の場合、二人の子の親権者としては債権者を指定するのが相当であり、したがって現在債務者の許にある二人の子は債権者に引渡させるのが相当と考えられる。
(三) 債務者は、二人の子は昭和四三年三月以来債務者と共に生活をし、札幌の話をすれば泣き出すなど子供達にとっては債務者の許での生活が安定したものとして受け入れられるに至っており現時点で債権者に引渡すとすれば感じやすい子供の心に一生消えることのない愛情に対する不信と恐怖を残すことになると主張する。≪証拠省略≫によれば、債権者債務者間の長女一美、長男明は現在債務者の許で一応安定した生活を送っている事実は認められるけれども、現時点で債権者に引渡した場合、一時的には多少の混乱ないし心理的動揺が生ずるかも知れないが、子の年令や債権者と別れて暮らしてきた期間も未だそれ程長くはないことなどを考慮すれば、新しい環境に充分順応できるものと予想されるからこの点も前記判断の妨げとなるものではない。
三、次に本件仮処分の必要性について判断するに、本件の如き離婚に伴なう親権者指定に基づく子の引渡請求権を被保全権利とする仮処分の必要性については、現時点において子をいずれの当事者の許で養育監護させることが子の幸福に適するかを主眼にして判断すべきところ、前記判示の如く被保全権利としての離婚原因および親権者の指定についての債権者の主張につきいずれも疎明があり、また前記二において判示したような事情の下においては、右二名の子の養育監護は債権者の許で行なうのが子にとってより幸福であると考えられるから、本件仮処分の必要性についてもその疎明があるというべきである。
四、結論
よって債権者の本件仮処分申請は正当と認められるのでこれを認容し、かつ事案の性質上保証を立てさせないこととし、訴訟費用については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松原直幹 裁判官 稲守孝夫 大津千明)